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2022.7.29

令和4年8月の言葉 「見学の見」と「観察の観」

素人の見る目というのは「見学の見」で見ている。肉眼でただ見ているだけである。

専門家は「観察の観」で見ている。

対象物を見る際の、「絵心のない私」と「画家」との違いでもある。

「見学」というのは、ボーッと見て、あとは忘れてもよい・・・というわけである。

これを「観察」という言葉に置き換えるとそれでは済まない。

俗説に「人の商売と、人の女房はよく見える」という。

この場合の見方は、もちろん観察ではなく見学である。

もともと商売というものは、人知れぬ苦労に耐えながらやり通すものなのである。

その部分を見逃して表面だけ見てうらやむなどとは、要するに何も見ていないことと同じである。

花を見たら、外見のことはもちろん、目に見えない地下の根の張り具合にまで、さらには養分の状態にまで思いが届く、観察というものはそういうものではなかろうか。

「努力して探る」目をもってのみ観察の道が開けてくる。

観察の目というものは、苦労する、失敗と反省を重ねる。

そして自分の全知全能を傾けたものに対してのみ開眼する目である。

人から教わった方法論だけで観察しようなどと考えても、無理というものである。